輝け!武術太極拳アスリート ~レジェンド選手紹介/下起悦郎~

下起 悦郎選手

武術太極拳との出会い

両親の話によれば、私は幼少時からエネルギーを持て余し、気性が激しかったようです。そんな私がジャッキー・チェンに出会ったのは中学1年生の頃、ジャッキーがハリウッドで大成功を収めた頃だと思います。

当時は空手や柔術、キックボクシングなど、空前の格闘技ブームでしたが、ジャッキーに魅了された私は、カンフーにこだわり教室を探し回っていました。

ちょうど当時住んでいた長野市の公民館でカンフー教室を見つけ、弟を引き連れてお世話になりました。

習った技を使って、アクション映画を自主制作し、文化祭で披露するなど、一風変わった中学生の私でしたが、当時の師、瀧澤克夫先生はいつも褒めてくださいました。

日本代表選手として

高校入学前から年に数回、定期的に東京の孫建明先生に教えを請う事になりました。実際に映画主演のご経験のある孫先生は、まさしくカンフースターのオーラがあり、とてもかっこよかったのを覚えています。

それ以上に孫先生の練習はとても厳しく、私自身の持つ弱さに、この頃初めて気付かされたことは良い思い出です。

それでも食らいつきたいと思えたのは、着実に強くなっていく実感と、人づてにさり気なく褒めてくださる孫先生のお人柄のおかげだと思います。

父の転勤に伴い愛知県連盟に所属してからも、深夜バスで何度も通わせていただきました。

そんなご縁もあり、地方出身の私も当時始まったばかりの自選難度競技部門へチャレンジさせていただくことになりました。

21歳の時、遅咲きながら世界選手権に出場し、世界のレベルを目の当たりにしました。同時にこの頃から中国での訓練も経験させていただき、ハイレベルな仲間と共に過ごせたことは宝物のような経験です。

2010年頃。年2回中国での練習は大切な財産に

2010年頃。年2回中国での練習は大切な財産に

国際大会初出場の日、カナダ・トロントにて中村剛先生と

国際大会初出場の日、カナダ・トロントにて中村剛先生と

レジェンド選手たちと共にすることのできた時間は一生の宝物

レジェンド選手たちと共にすることのできた時間は一生の宝物

引退と復帰

私にとって勝負の世界は厳しく、私は一度引退を選択しました。

愛知県に来てから今まで15年以上お世話になっている中村剛先生は、当時からいつも私のことを大切にしてくださり、良いところ、心配なところをこんこんと説いてくださいました。しかしその時の私は聴く耳が持てず、本当にもったいないことをしたと思います。

心残りは時間が経っても消えず、3年のブランクを経て、ついに復帰する決心をしました。当時すでに28歳、この時の勇気は今まで先生方が私を肯定してくださった分だけ湧いてきたように感じます。

30歳で再び引退するまで日本代表復帰こそ叶いませんでしたが、国内の大会である程度活躍し、私が競技生活を謳歌する姿はお見せできたのではないかと思います。

今後について

現在私は名古屋市と岐阜県羽島郡に2つの道場を弟の下起亮次と共に運営しています。これまでのすべてのストーリーを一緒に歩んできた弟と、大好きなこの武術太極拳を仕事にできることは本当に幸せなことです。

驚くことに、今でもジャッキー・チェンに憧れて入門してくる少年少女がたくさんいます。これから私も、関わる皆さんの心に残るような存在でありたいと思います。

そのために日々勉強し、努力を重ねていきたいと思います。

具体的には、東海地区を中心に全国各地方の選手・愛好者の皆さんへ、幸運にも私が得ることのできたノウハウをお伝えする事、また、私を育ててくれたこの武術太極拳を日本社会の人々へ更に広く知ってもらう事、そのために専業武術家として永く働き続けたいと思います。

実弟の下起亮次と力を合わせての道場経営

実弟の下起亮次と力を合わせての道場経営

リーダーとして、武術家としても人としても磨かれる毎日

リーダーとして、武術家としても人としても磨かれる毎日

下起 悦郎 SHITAOKOSHI Etsuro
1987/10/8生 長野県出身
所属:愛知県武術太極拳連盟
主な競技成績・表彰・経歴:
■ 2007年 全日本武術太極拳選手権大会 剣術A1位 槍術A1位
■ 2009年 世界武術選手権大会(カナダ・トロント)剣術銀メダル
■ 2010年 文部科学省国際競技大会優秀者表彰 受賞
■ 2011年 世界武術選手権大会(トルコ・アンカラ)剣術5位入賞
■ 2012年 アジア武術選手権大会(ベトナム・ホーチミン)槍術銅メダル
■ 2016年 全日本武術太極拳競技会 自選難度長拳1位 短器械1位
■ 2018年 全日本武術太極拳選手権大会 自選難度長拳1位
■ 2020年 日本武術太極拳連盟 選手強化委員会 強化コーチ就任