― 健康と太極拳 ― フランス滞在と推手交流(倉島 哲)

※4月下旬に寄稿いただいた記事です

著者プロフィール

倉島 哲(あきら)

倉島 哲(あきら)
関西学院大学社会学部教授

略歴
1974年長野市生まれ、京都大学博士(文学)
〇京都大学人文科学研究所助教
〇マンチェスター大学客員研究員
〇パリ第五大学客員研究員
〇日本スポーツ社会学会理事・研究委員長を歴任
Email:akirakurashi@gmail.com

健康のための太極拳といえば、真っ先に思い浮かぶのが套路(とうろ)の練習です。ゆっくりした全身運動であり、しかも、なめらかな重心移動をともなうため、套路は全身のバランスを整えるのにとても役立ちます。

しかしながら、套路ばかりが太極拳ではありません。よく知られているように、太極拳は元来武術です。そのため、単独練習のための套路に加えて、相手と向き合って行う練習方法も伝えられてきました。なかでも重要なのが推手(すいしゅ)です。相撲や柔道のように組み合うのですが、できるだけ自分の力を使わずに相手を崩すのが推手の目指すところです。そのため、相手をつかむのではなく、手首どうしを軽く接触させた状態で勝負を始めます。約束推手ではある程度動作のパターンが決まっていますが、自由推手では双方が自由に技を掛け合います。

もっぱら健康のために太極拳を練習されている方は、「相手を崩すだの勝負だの、怖くて痛そう」と尻込みしがちだと思います。私も、20年以上まえに京都ではじめて推手の交流会に参加したときは、清水の舞台から飛び降りる気持ちでした。しかし、推手を続けてきたことで、太極拳にまったく新しい次元が開けました。套路ではかなわないような他流派との交流が可能になり、この交流が、套路とは異なった方法で身体を整えてくれたのです。

こうした推手の「御利益」を実感した機会のひとつとして、2018年4月から1年間、フランスに滞在した際の経験を紹介したいと思います。

パリでの推手交流

私は、太極拳の愛好者であると同時に、社会学的身体論の立場から太極拳を研究してきました。今回のフランス滞在も、パリ第五大学の客員研究員として、現地の専門家と共同研究をするためでした。

私を受け入れてくださった哲学教授と共同で、1年にわたって開催した連続研究セミナー「伝統太極拳における身体と間身体性」には、大学院生のみならず、フランスとベルギーから太極拳の指導者や研究者が参加してくれました。彼らの流派は私の修行してきた陳氏太極拳とは異なるため、套路を見ても正確な評価はできませんが、推手の手合わせをすることでお互いの上手さや弱点が分かりました。

もっとも、セミナーに参加してくれたのは太極拳の専門家ばかりではありません。ほとんど予備知識なしに参加された方もいました。しかし、経験者の方々と推手を実演することで、一見すると健康体操やダンスと区別がつかない太極拳が、実際は武術であることを納得してもらうことができました。未経験の方々にも、少しずつ推手を体験してもらうことで、武術としての太極拳を味わってもらえたように思います。

交流は大学内でのみ行ったのではありません。自宅アパート前の芝生で套路を練習していると、声をかけてくれる人がたくさんいました。「一体何をしているの」と興味を持ってくれる方も多かったですが、中には太極拳や中国武術の修行者もいて、推手で交流することができました。芝生に敷物を敷いて、ワインと食べ物を持ち寄ってピクニックをしている最中に、一緒にいた一人が楊氏太極拳の経験者だとわかったことがありました。その場で始まった即興の「酔拳推手」は、とても楽しい思い出です。

推手と全身の協調

推手の良いところは、全身を協調させることの難しさに気づかせてくれることです。日常生活を支障なく送れているかぎり、私たちは無意識のうちに全身の各部位を協調させており、身体の協調に問題があろうなどとは夢にも思いません。しかし、推手をすることで、協調の不十分な部位が弱点として浮かび上がるのです。

手合わせを始めた当初は、たんに負け続けてくやしいだけです。しかし、しばらく負け続けると、いつも一定のパターンで負けていることに気づきます。この方法で攻められたときは逃げることもできず、相手のなすがままにされてしまうという「必敗パターン」が、好むと好まざるとにかかわらず見えてくるのです。

私の場合は、相手に腕の力を突然抜かれて、前につんのめって崩されてしまうパターンが多かったです。その原因は、相手と手首を接触させるや否や、反射的に腕を緊張させてしまう私の癖にありました。この緊張のせいで、相手をまっすぐ押しているつもりでも、力の方向は外側に外れていたのです。

そのうえ、意識が相手にばかり向かっていたため、腰を入れて全身で押すのではなく、もっぱら上半身の力で押すことしかできていませんでした。結果として、私は知らぬ間に、相手の腕に寄りかかる体勢になっていたのです。このとき腕の支えを外されると、簡単に前につんのめってしまいます。

自分の協調の問題点が見えてくると、これを克服するための方法もわかります。すなわち、相手と接触したとき、反射的に腕だけを緊張させずに、全身でやわらかく相手を受け止めればよいのです。相手を押す際も、腕や肩に力を入れるのではなく、意識を沈めて足腰の力で押せば、上半身が前傾して相手に寄りかかることはありません。

もちろん、これらの方法を頭でわかることと、実際にできることの間には大きな開きがあります。私がこれらの方法を心がけるようになってからはや20年が経ちますが、まだまだ十分にはできません。とはいえ、全身を協調させることの難しさに気づかせてくれ、協調を改善するための練習を可能にしてくれる点で、推手には大きな意味があります。

套路と推手の違い

たしかに、套路の練習でも、全身の協調のありようはクローズアップされます。手足の位置や、重心移動のタイミングなど、微細な調整を繰り返して協調を高めてゆくのが套路の醍醐味であることは確かです。しかし、套路で全身を協調させることができたとしても、推手で同じことができるとは限りません。

たとえば、套路において「立身中正」(胴体をまっすぐ保つこと)は比較的容易でも、推手において同じことをするのは困難です。隙あらばこちらを押そうと身構えている相手を前にしたとき、上半身に力が入って前傾してしまうのは、私だけではないはずです。このような体勢のとき、前につんのめらされて負けることを繰り返してはじめて、「立身中正」の本当の必要性と、その難しさが実感できるのです。

このように、日常生活はもとより、套路の練習においてさえも主題化されることがない高度な協調の必要性に気づかせてくれ、繰り返し練習させてくれるのが推手なのです。全身をよりよく協調させることを目指している点で、套路と推手は目的を同じくしているといえます。もっぱら健康のために套路のみ練習されている方々におかれましても、推手を試してみる価値があるというのはこのためです。

相手に合わせて動くこと

フランスでの経験が示しているように、推手の良いところは、異なる流派の相手と交流ができるところです。関西では、京都・大阪・神戸でそれぞれ月に一度ずつ推手交流会が開催されており、流派を超えた研鑽が行われています。参加しているのは、陳氏・楊氏をはじめとする太極拳諸流派だけではありません。形意拳・少林拳・詠春拳などの中国武術、柔道・柔術・空手・合気道・少林寺拳法などの日本武道、ボクシングや総合格闘技などの格闘スポーツを含めた、多様な修行者が交流しています。

相手の流派が異なれば、得意技も異なり、それに対応するために必要な身体の協調も異なります。とりわけ推手では、相手の力を利用して相手を制することが目指されるため、多様な相手の動作にそのつど合わせることが必要です。たとえ体力で優っていても、いつも同じ「決まり手」で相手をねじ伏せてしまっては、自分の練習にならないからです。

理想的なのは、自分勝手に動くのではなく、相手との接点の圧力をつねに一定に保つように、相手にしたがって軽々と動くことです。自分が無理な姿勢や不安定な姿勢に追い込まれぬようたえず気を配りつつ、逆に相手をこうした姿勢に追い込めそうな決定的な瞬間に、わずかに力を入れて崩してやるのです。お互いにこのように心がけて推手をすると、身体の大小や経験の多寡を問わず、老若男女が推手交流を楽しむことができます。

おわりに

本原稿の執筆中に、新型コロナウイルスをめぐる状況がひどくなってきました。推手が「濃厚接触」であることはおそらく間違いないため、関西の推手交流会は3カ所とも延期を余儀なくされています。当分の間推手はお預けで、自宅近くで套路を練るほかありません。しかし、いつか推手交流会が再開できたとき、新しい方々とお手合わせできることを心待ちにしております。