― 健康と太極拳 ― 太極拳は健康維持に有効か?(中田幸子)

著者プロフィール

中田幸子医師

中田幸子
(なかた ゆきこ)
大阪大学大学院
医学系研究科
特任講師

略歴
大阪医科大学医学部卒業
大阪大学医学部附属病院で内科研修
大阪大学大学院医学系研究科第4内科で医学博士を取得
米国ノースカロライナ大学医学部病理学教室研究員
大阪大学大学院医学系研究科助手・助教を経て現在に至る
日本甲状腺学会専門医
老年病専門医・指導医
日本臨床検査医学会専門医

今年は世界的なCOVID19の感染拡大により、運動も困難な年であると思います。日々太極拳にいそしんでおられる方々には無縁のことかもしれませんが、私が外来診療や健診で見る限りでは運動不足になったり、家でテレビでニュースを見ながらストレス解消もあり食事や間食を今までより多めに取るようになった結果、体重や腹囲と共に血中コレステロール値や中性脂肪値、血糖値などが増加傾向の方も多いようです。健康のために太極拳をなさっている方々やご病気があっても太極拳に興味を持っている方々のために、私なりに太極拳と健康との関連について少しでもお役に立つ話が書ければと思います。

太極拳には皆様がよくご存知のように1.動きがゆっくりである事、2.重心が下半身にある事、3.呼吸が深い状態(腹式呼吸)で運動を行う事などの特徴があります。動作がゆっくりであるが故に片脚で身体を支える時間が長くなります。私は以前西村誠志先生にいつも動作が速すぎるとご指導頂いておりましたが、速い動作よりゆっくりの方が難しく、バランス感覚がより必要となるのではないかと思います。太極拳は体力のない方や高齢者でも可能であり、体幹筋や下半身の筋力をきたえる事で転倒予防になる可能性があるのではと思いますが、私の主観ではなく、今まで行われてきた太極拳に関する研究文献を用いて科学的に太極拳と免疫との関連、太極拳の精神に与える影響(ストレス軽減効果)、太極拳の高齢者の健康に対する効果について簡単にご説明出来ればと思います。

運動は免疫機能に影響を与えることが知られており、今まで行われたすべての研究で太極拳が免疫機能を改善するという結果が出たわけではありませんが、様々な研究が行われた結果、身体の免疫に関与するCD4陽性細胞など白血球に含まれる免疫系細胞や免疫状態を示すCD4+/CD8+の比率(免疫不全で低下する)、微生物から身体を守るために血清中に存在する免疫グロブリンIgG, IgAの血中濃度が太極拳で増加する事が報告されています。1)2003年には高齢者などで免疫機能が低下した際に発症する帯状疱疹の原因ウイルスであるヘルペスウイルスに対する免疫能が15週間の太極拳の練習で改善したと報告されています。2)また、太極拳が精神に与える影響については2011年に大学生(18−40歳)を対象に週2回50分の太極拳の運動を行った研究では、運動を行っていない群に比較して太極拳を行った群では有意に心を整え、目の前の事に集中できる(マインドフルネス)ようになり、睡眠の質や気分の改善、ストレスの軽減が認められた報告があり3)、2014年に7−9歳の子供を対象に行われた研究では週1回60分の太極拳を5ヶ月行った結果、ストレス時に分泌される副腎皮質ホルモンである血中コルチゾール値が太極拳を行った群では運動を行っていない群に比較して有意に減少を認め、5ヶ月後には85%の子供が腹立たしいことが起こった際やイライラしたり、ストレスを感じた際に太極拳を行うことで気分が改善することを学んだと答えています。4)3つ目の太極拳の高齢者の健康への影響、特に転倒予防に有効かにつきましては今まで様々な研究が行われてきました。5)研究対象や研究期間、太極拳の運動プログラムなどが研究間で異なる事もあり、必ずしも一定の研究結果は得られておらず、さらなる研究が必要と思いますが、2007年に我が国で報告された70歳以上の高齢者を対象に太極拳とカンフー体操(速筋を利用し敏捷性を鍛えるため)を取り入れた転倒予防トレーニング群と従来の(歩行訓練、筋力強化トレーニング、バランストレーニングを組み合わせた)転倒予防トレーニング群で週1回70分、3ヶ月間運動を行い比較検討した研究ではカンフー体操の影響もあるでしょうが、太極拳運動群は既に転倒予防に有効性が明らかになっている従来運動群と変わらないトレーニング効果を持つことが明らかとなり、両群共にトレーニング後には歩行時のバランス指標であるTUGT(Time up & go test)が改善しました。6)また、太極拳を長年行っている高齢者の骨密度は太極拳を行っていない高齢者群よりも有意に高いという報告もあります。7)さらに海外においては心疾患8)や慢性閉塞性肺疾患(慢性気管支炎や肺気腫など)9)をもつ患者さんが太極拳により身体あるいは精神的な状態が改善されたという報告もあり、身体のあまり強くない方や高齢者において無理なく行える太極拳は健康維持に今後も有用ではないかと考えています。

文献

1. Ho R.T.H et al. The effect of TaiChi exercise on immunity and infection A systemic review of controlled trials. The Journal of Alternative and Complementary Medicine 2013;19(5):389-396

2. Irwin MR et al. Effects of Behavioral Intervention,Tai Chi Chih, on Varicella-Zoster Virus Specific Immunity and Health Functioning in Older Adults. Psychosomatic Medicine. 2003;65:824-830

3. Caldwell K et al. Changes in Mindfulness, Well-Being, and Sleep Quality in College Students Through Taijiquan Course: A Cohort Control Study. The Journal of Alternative and Complementary Medicine. 2011;17(10):931-938

4. Lozada M et al. Stress Management in Children:A pilot study in 7 to 9 years olds. Lozada M etal. J Dev Behav Pediatr. 2014;35:144-147

5. Wu G. Evaluation of the Effectiveness of Tai Chi for Improving Balance and Preventing Falls in the Older Population-A Review. .J Am Geriatr Soc. 2002;50:746-754

6. 郭 輝ら 太極拳及びカンフー体操を取り入れた転倒予防トレーニングの体力低下高齢者の体力に及ぼす効果の検証-従来型転倒予防トレーニングとの比較 体力科学 2007;56:241-256

7. 金 信敬ら 太極拳による高齢者の骨粗鬆症予防効果に関する研究 Osteoporosis Japan 2007;15(1)89-94

8. Park IS et.al. Managing cardiovascular risks with Tai Chi in people with coronary artery disease. Journal of advanced Nirsing 2009;66(2):282-292

9. Chan AW.K et al. Effectiveness of a Tai chiQigong program in promoting health-related quality of life and perceived social support in chronic obstructive pulmonary disease clients. Qual Life Res. 2010;19:653-664