特別企画 東日本大震災から5年,明日へ

太極拳と復興への道~岩手県,宮城県,福島県~

【掲載:2016年3月15日】

2011年3月11日(金)という日は,被災された方々に途方もない苦痛を与え,全国民が悲哀の底に沈んだ。2016年の今年,5年目という節目にあたり,いまだ続く苦難の道を歩む方々に,心底からのお悔やみと励ましの気持ちを表したい。特別企画として,この5年間を振り返って,武術太極拳が地域での輪・和に少しでも貢献し,復興に役立っていることを願い特集することにした。大震災以降,「東日本大震災復興支援」として,行政を始め民間のあらゆる団体・個人が「絆」を合言葉に,被災された方々とともに復興に向けて歩み出した。日本連盟では,震災直後から「武術太極拳義援金」を募集し,全国の拳友や愛好者の方々から,6ヶ月の間に合計68,436,516円もの募金が集まり,被災県連盟に直接送金した。募金芳名簿は,会報の増刊号(No.264,2011年10月31日発行)に掲載した。今回は,被害が甚大であった岩手県・宮城県・福島県の3県に,アンケート形式でこれまでの5年間,そして“今” を綴っていただいた。

※文中,敬称略

太極拳と復興への道 ~岩手県~

■岩手県武術太極拳連盟

被災された方々の状況が様々なので,「復興につながる活動」といっても当事者の方が本当に望んでいる活動か……を思うと,なかなか難しいというのが正直なところです。

会員数が減ったり,練習になかなか来られなかったりなど,様々な状況をかかえながらも,沿岸地域の各団体さんは,地道に活動を続けてくださっています。

活動の火が消えることなく,太極拳を楽しんでいただければと切に願っています。

平成26年度には,これまで盛岡市でしか開催していなかった太極拳1級検定の事前講習会と試験を,比較的沿岸に近い遠野市で開催しました。また,平成27年度には,これまで盛岡市と花巻市だけで開催していた推手講習会を遠野市でも年3回開催しました。今年4月からの平成28年度も年4回の開催を予定しています。これまで参加できなかった方にも,少しずつ参加していただけたらと思っています。

震災後は全国各地の多くの方々からご支援をいただき,大いに力づけられました。今年は「希望郷いわて国体」開催の年。震災で一時は開催も危ぶまれた国体ですが,「広げよう感動。伝えよう感謝。」のスローガンのもとスポーツの力で明るい話題を提供できるよう,武術太極拳デモンストレーションスポーツの開催準備をしております。

(岩手県武術太極拳連盟事務局)

■おおふなと放松塾

大震災後の活動は困難を極めました。家族を亡くしたり,練習後の帰りの夜道が怖くて通れないなど,様々な原因で,会員数は以前の半数近くに落ちました。震災後しばらくは,以前使用していた会場がボランティア活動の拠点や物資置場として使われ,練習は他の会場を転々としていました。

5年が経ち,以前の会場を使用しながら,ようやく新規の愛好者も訪れるようになりました。他のクラブでは,仮設住宅で太極拳のボランティアをされている方がいることも耳にします。

太極拳の集まりは,互いに教えあったり,練習後のおしゃべりなど,気分転換にもなります。健康に良いのは確かなので,これからもがんばって広めていきたいです。

(おおふなと放松塾会長 西村恵理子)

太極拳と復興への道 ~宮城県~

■宮城県武術太極拳連盟

あれから5年。“もう” なのか,“まだ” なのか一人ずつの受け取り方は違うでしょうが,あの時に日本中の太極拳の仲間から受けたご支援には感謝し尽くせない思いでいっぱいです。

また,兵庫県連盟からは講習会の受講料を東北支援として毎年ブロック宛に送って頂き,その心情の深さには,あふれ出るほどの感謝の思いがあります。

さらには,震災翌年に実施した「ねんりん宮城仙台大会」に全国からたくさんの出場選手,観客の皆さんにお出でいただきました。どれほど力づけられたことでしょうか。

宮城県で,震災後初めて行った講習会には「気分を変えたい,待っていました」と,太極拳に戻ってきた多くの会員がいました。沿岸部から関東地方に避難しながら講習会の為に帰省したという会員もいました。しかし,日を追うごとに,気分を変えたいというだけではやっていけない現実があります。

生活第一と離れていく会員もいましたが,沿岸部の気仙沼では日常に楽しみを求めつつ現実に向き合おうという人が多く,震災前より会員が増えました。そういう気仙沼を活気づけようと,一昨年には県連主催の講習会と1級検定を行いました。

宮城県は震災前と変わらずに行事をこなし活動を続けています。県連では,震災後に2団体が新規加盟をしましたが,会員数は減少傾向です。現状を踏まえながら,少しずつでも前へ進みたいと願ってやみません。

(宮城県武術太極拳連盟事務局)

■気仙沼武術太極拳協会

忘れもしない5年前の3月11日。震度6強,M9の大地震と10メートルを超える大津波で壊滅状態になった我が街。何日茫然自失の心で過ごしただろう。太極拳仲間は無事避難したか,居ても立ってもいられず安否確認に瓦礫の道を踏み分け避難所を探しまわった日々。会員87名全員の確認終了は,夏の始めだった。

結果,行方不明1名,家屋全壊流失52戸の罹災と判明した。こうした中,日本連盟による全国の太極拳愛好者から寄せられた1300万円もの義援金の手渡しや,支援の太極拳用品の手配りに取り組んだあの頃。愛用のシューズ,表演服や各種認定書,思い出のアルバム,全て流失し落ち込み沈む会員仲間の手をとり肩を抱いて励ましたあの日が,昨日のように想いだされる。避難所の会員は冬の始めにやっと仮設住宅に入居できた。出来る所からお互い励ましあって活動を再開した。

「こころに希望」「からだに太極拳」を合言葉にめげず,あきらめず,頑張っている。

私達の復興は,震災前の教室がすべて復活再開したとき。そして太極拳の灯を燃やし続けることが,すべての気仙沼市民の心に元気と希望を伝える「復興行動」だと思う。

(気仙沼武術太極拳協会会長 星野宏幸)


「平成28年気仙沼武術太極拳協会 新春のつどい」での集合写真。
「仮説住宅暮らしでも明るく元気にがんばっている」とのコメントが付いていた

太極拳と復興への道 ~福島県~

■いいたて太極拳サークル

震災直後に沿岸の町村からの避難者対応をしていた飯舘村も,東京電力福島第一原発事故により全村避難となりました。

太極拳のメンバーに連絡を取る時間もなく,それぞれ避難先を求めました。そんな中,福島県武術太極拳連盟より一本の電話。「全国の太極拳の仲間が,被災された皆さんにぜひ支援したい」との連絡が入ったのです。私達にとって思いもよらぬ御厚意であり,皆様の心暖まる義援金と励ましに深く感動しました。

数日後メンバーから「これ程私達を心配して下さっているのに何もしないでいる事はできない 何人でもいいからとにかく練習を始めよう」と,お互い連絡を取り合い,以前ご指導いただいた先生にアドバイスを受け,避難して半年後,以前15名でしたが,数名にて活動を開始する事になりました。

毎月2回ほどの練習ですが,会場の確保については飯舘と違い容易ではありませんでした。

翌年,福島県武術太極拳交流大会の演武の際に,涙を流しながらも満面の笑みと拍手で応援していただいた県の交流仲間のことは,決して忘れることはないでしょう。「心の絆・仲間」がいかに大切であるかを痛感いたしました。

避難が長引くにつれ体調を崩すメンバーもおり,現在11名となりましたが,村敬老会の文化祭等に出演するなど,元気でいる姿を村民の皆様に知っていただき,今後の復興に繋げていきたいと会員一同頑張っています。

最後に,県連の皆様そして全国の皆様に心から感謝を改めて申し上げます。

(いいたて太極拳サークル代表 渡辺里子)



避難先の福島市体育館にて県連の後藤先生と

■相馬市武術太極拳協会

2011年3月11日。相馬市の海岸沿いの町は,大津波により甚大な被害を被りました。震災直後,仲間達との連絡はつきませんでしたが,幸い当教室は海岸から離れておりましたし,多くの仲間達は市街地の中心部に住んでおりましたので,地震による家屋等の被害はありましたが,皆無事で元気でした。

震災から2ヶ月後のころ,県連理事長の遠藤先生より「少しずつ活動を始めなさい」と,励ましの電話を頂きました。公共施設は未だ全く使えませんでしたので,近くの集会場で活動を再開しました。最初は10人足らずで再開しましたが,仲間が少しずつ戻ってきて,皆で励まし合いながら練習をしました。

8月ごろから公共施設が使えるようになり,全国の連盟の方々のあたたかい支援に感謝の気持ちを抱きつつ,2011年10月の県総体の交流部門に参加しました。優秀賞をいただき,市の教育委員会に報告し全員で喜び合いました。

太極拳を通して,少しずつ震災の悲しみを乗り越えられたと思います。現在は公民館活動の中で生涯活動として楽しく頑張っております。

(相馬市武術太極拳協会会長 鈴木瑞枝)



「ねんりんピック高知」出場。福島代表「明日の風」チーム

■南相馬市太極拳協会

―心の除染は,「笑い!笑う!・大笑い」―

私たちの南相馬市は,福島県の太平洋沿岸に面しています。東日本大震災時は津波の大災害を受け,更に,原発事故の発生で,30km圏内の南相馬市民は,避難を余儀なくされ,雪の降る寒い夜道を当てもなく,我が街を出ました。

目に見えない,臭いもない,放射能の恐怖で絶望のどん底で,二度と帰ることは出来ないと決心し,遠くヘ遠くへと逃げ惑い,途方にくれたあの時を思い出します。

太極拳の活動は,一年間休会の措置が取られていましたが,同年の7月,私達には「太極拳がある」と,有志が集まりました。避難生活等で疲れ切った身体,傷ついて壊れそうな心,こんな時こそ,大好きな太極拳で元気になろうと立ち上がりました。しかし,会場がない事に気づきました。災害の物資が山積み,ご遺体の安置所,遺留品置き場,等々でどうにもなりませんでしたが,やっと8月末になり暖冷房付の小さな会場に恵まれました。早速,週1回,有志5人で始めました。自然に手を繋いで嬉しさのあまり大声で笑い出しました。「久しぶりで太極拳ができる,やるぞー!みんなでやるから!」と,何回も何回も笑い合いました。この時です。重い重い荷物を背負い込んで,悶え苦しんでいた精神状態から解放され安堵感に満たされました。

街の復興はなかなか進みません。「私達の心の復興,心の除染は?」 その特効薬は,「笑い!笑う!・大笑い」でした。それ以来,私達には,笑うことで,生命エネルギーを高めて,身も心もリラックスさせることが出来るようになりました。いつでも,どこでも,太極拳を始める前には,必ず全員で大笑いをすることが慣例になりました。みんなで,笑顔が大好きです。

―会員の増加傾向について―

東日本大震災・原発事故から1年余り,太極拳の活動休止の間,会員は全国へバラバラに,それぞれに安住の地を求めて避難中の方が多く,2012年の活動再開時の会員は47名と半減。2013年,2014年は,ほぼ平行線を保っていましたが,2015年になり避難先から戻る会員も多くなるとともに,原発事故で,すでに避難されていた方々,また,近隣の市町村から南相馬市に安住の地を求めて定着するための新築ラッシュで,高齢者人口が増加中であります。

震災後は,私たちも教室内だけの活動から一歩抜け出し,時間の許す限りボランティア活動,出前講座,仮設の復興祭,NPO法人の「元気モール」に出向き,太極拳の効用と楽しさをアピールしたり,皆で笑って,大笑い!を繰り返しながら太極拳の素晴らしさをアピールしつづけた結果,その功が奏し,自然に会員増加につながりました。

昨年,街の復興祭「ゆめはっと祭り」に参加した時のことです。市内のある病院の看護師さんから,「うちの病院で太極拳教室をやってもらいたい。夜の教室ですが,会場は提供できる」との話がありました。日中忙しく働いた看護師さんたちが,勤務を終えた貴重な時間に太極拳を楽しんでいただき,今後のライフワークとして,生涯健康スポーツである太極拳に興昧を持たれたことに共感し,昨年の5月からその病院で教室を開いています。

また,太極拳をやってみたいと尋ねてこられる方も多く,体験教室をしてみて良かったらどうぞ,続けましょうかと,門戸をひろげています。このような状況で,太極拳は人気上昇中です。「ゆっくり・ゆったり・楽しい太極拳」に感謝しています。

―ボランティア活動―

友人から「仮設住宅で太極拳教室をやらない? ボランティアを探しているよ」とのお誘いがきっかけでした。早速,相談の結果,話はすぐにまとまりました。

2012年9月から,2014年2月末まで,鹿島区の仮設住宅4箇所の集会所(千倉・西町・塚合・友伸)で,月1回『ゆっくり・ゆったり・楽しい太極拳教室』を指導員2名ずつ交代で行いました。

その教室での講習メニューは,最初に太極拳の効用をお話ししてから,皆で手を握り合い,大きな輪になり,「これからできるだけ大きな声を出して,笑いましょう!」,「みんなで,太極拳やるよアーハッハー!頑張るぞーワーハッハー! 元気だすようーアーハッハー! 負けねいーぞ! ころぶなよー! 今日も楽しいよー! 愛しているよー! さすけねいー……」と。最後は,皆で抱き合っての泣き笑いでした。参加者からは,あの日以来こんなに腹の底から,本気で笑えたことなんかなかった。何かモヤモヤしていたものが吹っ飛んで,勇気が湧いて来た,有難う!感謝です,という声が。

教室は,午前10時から11時30分まで,やさしいストレッチ,練功入門太極拳,膝や腰の悪い方は椅子を使用して行いました。

終了後は,お茶をして苦労話をお聞きして一緒に涙したり,勇気づけたり,勇気をもらったり,どこの集会所を訪問しても,知人が多く,皆で支え合いながら,不自由な仮設での生活を援助し合いながら,「人は皆,生かされて,生きている」ことを実感致しました。

これからもずーっと,笑って!笑う!元気。

(南相馬市太極拳協会会長 山田貞子)



西町集会所にて。「また来週まで,バイバイ!」

■いわき市武術太極拳協会

『復興』ということがどういう状態を呼ぶのか私はわかりません。土木工事による町の形成が『復興』なら,私の住む所にはありません。以前のコミュニティー形成が『復興』なら,私の町にはまったくありません。福島第一原子力発電所の爆発事件は,まだ何も解決されていません。

震災以前の私の太極拳を通しての地域との関わりについて,居住するいわき市内をはじめ,広野町・楢葉町・富岡町・浪江町・川内村の,太極拳5団体・7教室からの依頼により指導に出向いていました。

震災により各団体の会員は,避難を余儀なくされ,全国各地ヘ避難しました。

この5年の間,避難所から自治体の仮設住宅,借り上げ住宅へ入居された方々,避難先で帰還を諦め住宅を求められた方々などと,変わっていきました。また長引く仮設住宅などの生活と見通しの立たない状況から,住宅を新たに求められた方々もでてきています。その方々の中から,住み慣れた気候風土を求めて,いわき市へ,さらに転居されて来る方々も多く見られます。

震災以降の活動は,直後の避難所でのストレス解消や体づくりと,新たに生まれたコミュニティーでの関係作りにと,太極拳を軸として様々な支援活動をしてきました。この私の活動の第一目的は,震災以前に関わってきた方が太極拳を忘れずに居て欲しいということと,この活動が風の便りに離散した方々へ届き,それぞれに連絡を取り合い,繋がりが続いていって欲しいというものでした。

そうした中で,ハガキや電話での連絡が入ることが私の喜びになっています。また,これをきっかけに,いわき市内に居住の方々で太極拳を再開された方もおられます。

一方で,全国に離散して行かれた方が集まれる機会になればという私の独りよがりから,連絡が取れた方々と,夏の全日本選手権大会で再会をする事もしてきました。大会会場では,集まられた方々が競技を見ながら,震災前の教室での様子を懐かしく思い出し,時間を忘れて語り合っておられましたが,体力の衰えやご家族の都合などで年々人数が減ってきている事が気がかりです。

帰還解除がなされ,帰還を勧めるも,なかなか進まない中で,これまでに活動を再開できた太極拳団体は,川内村だけです。(川内村での会員の中にも戻る事を諦めた方もおられます。)

広野町では,NPOスポーツクラブで「養生太極拳」と「ジュニアカンフー教室」を4月から正式に事業として始めることが決まり,1月からプレ事業として活動が始まりました。

他の富岡町,楢葉町,浪江町の団体では,代表の方がいわき市近郊におられませんので,何らかの形で始める事が出来るように模索して行きたいと考えています。

(いわき市武術太極拳協会会長・福島県武術太極拳連盟監事 蛭田英明)

■福島県武術太極拳連盟

福島県連盟には,浜通り地区,中通り地区,山沿い地区と三つに分かれた地区に会員がおります。この震災の折,特に浜通り地区は,津波と原発事故の為,全国に会員が散りぢりになりました。当時県連には22の所属団体がありましたが,5年の間に5団体が高齢化や避難の為に消滅しました。5年たって今,同じ浜通りのいわき市に住まいを求めて戻り始めている様です。今回は相馬,南相馬,いわきの三市と,未だ避難中のいいたて(飯舘)の4団体の代表者に,アンケートに返答して頂きました。ここのところ震災5年として,地方紙(「福島民友」)にはよく震災関連の記事がのります。この5年,福島県連は「がんばろうふくしま!」「心一つ」をスローガンに全国の仲間から頂いた支援に応えるべく頑張っています。

(福島県武術太極拳連盟理事長 遠藤淑子)