輝け!武術太極拳アスリート ~毛利亮太選手・本多彩夏選手~

日本武術太極拳連盟・選手強化委員会が認定する強化指定選手の活動や競技に向けた想いなどをご紹介します。

毛利亮太選手

自選難度競技・男子南拳の毛利亮太です。私は8歳の頃、少林拳を習い始め、10歳で武術太極拳を知り、17歳で南拳を始めました。2015年に初めて、日本代表として世界選手権に出場しました。

移籍

私は8月に紹介された三船選手たちと同じく、地元が福岡県ですが、元々所属していた連盟は異なります。高校三年生まではかつて所属していた少林拳のチームで、少林拳の大会と、武術太極拳の福岡県大会やJOCなどに出場していました。

双方同じ中国武術とはいえ、実戦武術と競技スポーツでは、套路一つとっても大きく異なります。そのため、少林拳のチーム内には武術太極拳の套路を指導できる師範がおらず、武術太極拳の試合に出場するとなると、すべて自主練で大会を迎えるということがほとんどで、道場に来てもほぼ自主練ばかりになり、孤独感を感じていました。

17歳の頃、福岡で行われた合宿で故・高浦猛先生と出会い、その時に規定南拳を教わりました。それをきっかけに練習は南拳が中心になったり、暇があれば国内外の試合の動画を視聴するなど、南拳に魅了されていきました。そして翌年の高校三年生の夏、大阪武術隊のトレーニングセンターに福岡から通わせていただいた時に「こんなにも恵まれた環境があるのか」と、あまりの練習環境の違いに驚愕しました。そしてこの先自選難度の選手として日本代表になりたいという思いから、当時悩んでいた進路を大阪に向け、移籍を決意しました。

5年ぶりの惨敗

2013年に自選難度選手として初出場し、2015年に初めて日本代表として選抜され、昨年2018年まで、私は毎年日本代表として活動してきました。それが自分の自信につながっていたと思います。しかし今年の全日本大会で3種目とも実力を出し切ることが出来ず、惨敗。5年目にして代表選抜から落ちることとなりました。

2019年の全日本大会では、難度跳躍としてはC難度の旋風脚720°に挑戦しようと意気込んでいました。昨年の全日本とW杯での失敗、そこから分析して練習していく中で、私の中には絶対に成功する自信がありました。しかし本番では練習でも見なかったほどの着地失敗、加えて回転不足と期待を大きく裏切る結果となり、落胆して「もう潮時だろうか。」と、引退も考えたりしました。

そんな中、支えてくれたのはコーチや、共に頑張るたくさんの仲間たちでした。18歳まで孤独感を感じながら毎日練習していた私ですが、改めてチームや仲間のすばらしさを感じました。もう一度這い上がれるように手を差し伸べて下さったすべての方々に感謝しています。

2015年から代表として世界選手権などに出場してきましたが、まだ1度もメダルを手にしたことはなく、何度も悔しい思いをしてきました。2020年はアジア選手権大会がありますが、この大会への出場はもちろん、確実にメダルが取れるように今を頑張っていきたいと思います。

第18回アジア競技大会の結団式。次の大会に向け決意を新たに

毛利 亮太 MOURI Ryouta
1994/11/17生 福岡県出身
所属:大阪府武術太極拳連盟
職業:コナミスポーツクラブ・インストラクター
主な競技成績:
■ 2015年 第13回世界武術太極拳選手権大会 男子南拳5位
■ 2016年 第1回武術套路世界杯大会 男子南拳4位
■ 2018年 第18回アジア競技大会・武術太極拳種目
 男子南拳総合5位

 

本多彩夏選手

私は祖母に連れられて、4歳から武術を始めました。家中に本を置いているほど、太極拳が大好きな祖母が喜んでいたのもうれしくて、ひらひらのレオタードに憧れて先に始めていたバレエも10歳でやめ、武術選手としての生活がスタートしました。今年で社会人生活も2年目になり、現在は都内の信用金庫で勤務しながら選手をしています。

離れて考えた、自分にとっての武術

人生で最大の挫折が、高校生で初めて日本代表として出場させていただいた、2011年上海でのアジアジュニア選手権です。それまで代表選考止まりでやっと出場できた国際大会。結果は、日本チーム12人中11人がメダル獲得という素晴らしい成績の中、たった1人メダルを取れなかったのは私でした。悔しくて悔しくて、半ば武術から逃げるように、それならばと小学生の頃から夢だったアメリカ留学を決めました。

本当に素敵なホストファミリーと友達に恵まれて過ごした最高の一年。その中で、自分の学校のイベントで表演したことをきっかけに、その後州内4校で演武しました。その時、ホストファミリーや友人たちが、私の演武を見てとても喜んでくれました。自分がそれまで人生の大半をかけて打ち込んできたことで喜んでもらえたのが純粋に嬉しかったのと同時に、生活の一部どころかいつだって自分の人生の中心であった武術を、このまま負けたままで終えてしまっていいのかという気持ちがあることに気づきました。帰国後、私はコーチに相談し、選手への復帰を決めました。

もう一度コートに立って

それからは本当にあっというまで、2014年に初めて自選難度競技に出場し、2015年から2018年まで4年連続で日本代表として国際大会を経験させていただいて、運も良く全ての国際大会でメダルを獲得できました。大会や中国での練習を経て、嬉しさも悲しさも共有できる、大切な友人たちにも出会うこともできました。

その途中では就職という節目も迎え、選手を続けたまま社会も経験したいという、わがままな私を応援してくださる職場にも巡り会えました。

1年という、選手として戻るには長いブランク。コート上に戻れるかさえ分からなかったあの時の自分の不安をよそに、本当にたくさんの方々に支えられて、これまで選手を続けて来れました。

アジアジュニアでの悔しさ。アメリカで気づいた武術の楽しさ。世界選手権で知った勝つことの嬉しさ。応援してくれる人がいることの心強さ。この20年間、武術を通して沢山の縁をいただき、数えきれないほど貴重な経験をさせていただいてきました。今年は5年ぶりに代表選考に漏れ、もう来年まで大会はありません。そんな中でも、選手としての悔しさも、嬉しさも、そして見てもらえる喜びも知っている自分だからこそ、今までよりも確実に成長できる1年だと思っています。少し人より回り道をしてしまっている武術人生ですが、その分の経験を自分の武術という形で表現していきたい。武術太極拳との縁をこれからも大事にしながら、応援に応えられるよう、人として、選手として成長していきたいと思います。そして来年は必ず、日本代表として国際大会の舞台に戻ります。

アメリカ留学時のホストファミリーは今でも大切な存在です

本多 彩夏 HONDA Ayaka
1995/8/6生 埼玉県出身
所属:東京都武術太極拳連盟
職業:東京東信用金庫 職員
主な競技成績:
■ 2015年 第13回世界武術太極拳選手権大会 槍術第3位
■ 2016年 第1回武術套路ワールドカップ 槍術第2位
■ 2017年 ユニバーシアード台北 長拳第3位
■ 2018年 第1回世界大学