輝け!武術太極拳アスリート ~レジェンド選手紹介/赤沢 依美~

赤沢 依美選手

赤沢 依美選手

武術太極拳との出会い

私が太極拳を始めたのは7歳の時でした。

母が趣味で通っていた日本女子太極拳クラブの教室について行ったことがきっかけです。

当時の私には太極拳の楽しさはあまり分かりませんでしたが、小学6年生の時に初めて出場した全日本武術太極拳選手権大会で、大人に混ざってまさかの12位入賞。

ここで競技としての太極拳の楽しさを知ります。

当時、私の所属する団体には選手向けの教室がなかったため、会長と相談して大阪の増田尚子先生にコーチをお願いすることになりました。

毎月1回、東京から大阪の練習会場に行くために、朝6:13発の新幹線で行って、先生から1日練習を見ていただき、夜帰宅。

また1ヶ月後の練習までに持ち帰った課題を定着させるため、ひたすら自主練をするという生活を繰り返していました。

20歳で保育士になってから引退するまでの5年間は、仕事と選手の両立がとても難しかったです。

ハードな練習で身体はきつかったですが、先生から教えていただけることが嬉しくて、続けることができたのだと思います。

ここまで導いてくださった先生には本当に感謝しています。

2003年世界武術選手権大会(マカオ)

2003年世界武術選手権大会(マカオ)の表彰式後の写真
みんなにお祝いしてもらって嬉しかったです

教え子達と

教え子達と。子ども達の嬉しそうな顔が癒しです。
コーチとしても、もっと頑張りたいと思います

恩師の増田尚子先生と

恩師の増田尚子先生と。
時に厳しく時に優しく、選手としての心構えを教えていただきました

仲間との出会い

そんな生活から3年後、18歳で日本代表選手に選抜されます。

そこで初めて日本代表チームの先輩達と出会います。

全てが初めてで不安だらけだったのですが、笑いで明るい雰囲気に変えてくれました。

年下だった期間が長かったので、みんなに可愛がってもらいながら、先輩達の背中を見て合宿や大会に取り組む姿勢など、沢山のことを学ぶことができました。

今でも大切な思い出です。

日本代表選手と引退

引退するまでの8年間は、楽しいことや嬉しいことも沢山ありましたが、それ以上に辛いことも多かったです。でも結果的に後悔のないところまでやらせていただいたので、思い残すことはありません。

過ぎてしまえば選手生命は思っているよりも短く、引退してからの時間の方が長いので、一つひとつを悔いのないように完結させていけば、その先に繋がっていくのではないかなと思います。

現在の活動

地元では教室をしながら、他の団体主催の講習会や表演会の依頼もいただいたり、また、競技大会では審判員をさせていただき、感謝の気持ちと同時に、身が引き締まる思いです。

沢山勉強する機会をいただいているので、この経験を活かしてこれからも皆さまのお役に立てるように、頑張っていきたいと思います。

自分の技も引き続き磨き続けます。

これまでお世話になった皆さま、選手の時に応援してくださった皆さまにこの場をお借りして心より感謝申し上げます。

1997年東アジア大会(釜山)の空港にて

1997年東アジア大会(釜山)の空港にて。初めての国際大会でとても緊張しましたが、楽しかったことばかりが思い出されます

赤沢 依美 AKAZAWA Emi
1978/7/26生 東京都出身
所属:東京都武術太極拳連盟
主な競技成績<国際大会>:

■ 1997年 第2回東アジア競技大会(釜山) 2種総合第2位
主な競技成績<国内大会>:
■ JOCジュニアオリンピックカップ
 24式太極拳 1994年から5年連続優勝
■ 全日本武術太極拳選手権大会
 総合太極拳Cの部 1998年から7年連続優勝
 42式太極剣 2000年から5年連続優勝
主な表彰:
■ 2003年 読売新聞スポーツ賞
■ 2004年 文部科学省「国際競技大会優秀者賞」
■ 2018年 文部科学省「生涯スポーツ功労者賞」