― 健康と太極拳 ― 武術・養生術・スポーツ(倉島 哲)

著者プロフィール

倉島 哲(あきら)教授

倉島 哲(あきら)
関西学院大学社会学部教授

略歴
1974年長野市生まれ、京都大学博士(文学)
〇京都大学人文科学研究所助教
〇マンチェスター大学客員研究員
〇パリ第五大学客員研究員
〇日本スポーツ社会学会理事・研究委員長を歴任
Email:akirakurashi@gmail.com

 太極拳はスポーツとして普及する道を歩んできたといえます。日本武術太極拳連盟のホームページにも、当連盟が「武術太極拳を生涯スポーツとして、また競技スポーツとして普及振興を進める事業活動を行っている」とあります。

しかしながら、武術そして養生術として発展してきた太極拳には、スポーツの範疇には含めがたい側面があることも事実です。本稿では、スポーツ社会学の観点から、太極拳のスポーツ的ではない部分にこそ、太極拳を健康づくりに役立てるためのヒントがあることを指摘したいと思います。

武術の普遍性

太極拳は元来、武術として創造され継承されてきました。その原型が形成されたのは、17世紀末、明朝が滅び清朝が盤石を築きつつある頃のことです。明朝に仕えた武将である陳王廷(1600-1680頃)は、引退して故郷の陳家溝(河南省を流れる黄河のほとりの小村)に戻り、拳法の研究に打ち込んだという記録が残っています。陳王廷は伝書を残しませんでしたが、彼が作り出した拳法の実戦性は、これを伝承した陳家溝の村人たちが度重なる匪賊の襲撃から村を守ってきたことからわかります。

ただし、村人たちは素手で戦ったのではありません。槍や棍、刀や剣などの武器を取って戦ったのです。このように、現代の私たちの多くが想像する「太極拳」とは異なり、陳王廷が創出した拳法は、武器術の基礎を作るものでした。素手の拳法の訓練により、武器術に必要な身体を養成できたのです。

このような拳法と武器術の関係は、16世紀に活躍した明朝の武将である戚継光(1528-1588)の『紀効新書』(1560年、増補版1561年)にもうかがえます。これは軍隊を訓練し指揮するためのマニュアルであり、各種の武器の有効な使い方も詳細に論じられているのですが、その末尾に「宋太祖長拳三十二勢」という拳法が収録されています。

たとえ拳法を習得していても、戦場で武器を持った相手に素手で向き合えば負けてしまうに決まっています。しかし、拳法の訓練を行うことで、あらゆる武器術に必要な身体の使い方を習得することができるのです。戚継光の言葉を借りれば、「拳法、大戦の技に預かること無きに似たり。然れども、手足を活動し、肢体を慣勤す」、ゆえに、「それ拳や、武藝の源なり」というわけです(『紀効新書巻十四』)。

「宋太祖長拳三十二勢」には、陳家溝に伝承されている拳法と多くの類似点が見られるため、両者が共通のルーツを持つことは明らかです。陳家溝の拳法が、各種の武器を用いた村落防衛戦に役立ったのも当然と言えるでしょう。それは、たんなる素手の格闘術をこえて、あらゆる武器の使用に応用できる普遍的な身体の使い方を訓練することのできる拳法であり、これこそ、19世紀になって「太極拳」と呼ばれるようになったものの母胎なのです。

したがって、太極拳の武術性とは、普遍性をもつ身体的な基礎を養成する点にあります。不意に襲われたときに、槍があれば槍で、棒があれば棒で、何もなければ素手で、臨機応変に身を守ることができてはじめて、武術としての太極拳を身に付けたといえるのです。

武術から養生術へ

陳王廷の創造した拳法が養生的な性格を備えるに至った理由は、道教の影響に求められると一般的には考えられています。彼は道教の経典である『黄庭経』をいつも傍らに置いていたと記録が残っているため、道家の養生術にも通暁していたと思われるからです。

しかし、陳王廷の拳法が普遍的な身体を養成するものであったことを踏まえたなら、武術の追求がそのまま養生術を導いた可能性もあったはずです。なぜなら、特定の武器に特化した訓練が偏った身体の使い方を招きやすいのに対し、どんな武器でも使えるように「手足を活動し、肢体を慣勤す」を旨とする修練は、身体各部の協調性を高め、全身のバランスを整えるからです。このような修練は必然的に、気血を巡らせ、不老長生に貢献することになります。

そのうえ、武術に求められる普遍性は、多様な武器を使いこなせることだけではありません。いつ、どこで敵に襲われても不覚を取らないように、身心の準備を万端にしておくことが不可欠です。そのためには、戦時と平時とを問わず油断なく日々を過ごし、身体を整えるための修練と生活全般にわたる摂生を怠らないことが必要なのです。

もし武術というものが、戦場で特定の武器を使うための技にすぎないならば、武術と養生術はまったく異なるものです。しかし、武術の目指すところが、何時でも、どんな武器でも使える普遍的な身体の養成であったならば、永続的な修練と摂生こそが武術の核心であることになります。退役軍人としての陳王廷が、故郷で武術の研究を続けることで到達したのは、このような武術即養生術の境地であったと想像されます。

スポーツの限定性

武術と養生術が求めるのは普遍的な身体であるのに対して、スポーツが求めるのは競技という枠組みに限定された身体です。なぜなら、スポーツの訓練はつねに競技を前提としており、競技で必要な動作はルールによって限定されているからです。

たとえば、剣道競技で必要なのは竹刀による攻防の技だけであり、槍を操る技も素手で戦う技も必要ありません。さらに、正しい打ち方で特定の部位に竹刀を当てないと有効打突にはなりません。同様に、柔道では投げ技や固め技が必要ですが、武器を操る技や打撃技は必要ありません。このような制約ゆえに、スポーツの訓練は様々な武器を臨機応変に使いこなす能力ではなく、特定の武器(ないし手足)を特定の方法で使用するための訓練になります。

テニス肘や野球肩など、スポーツ名を冠した障害が存在することは、偏った身体使用という問題が、格闘スポーツに限らずスポーツ一般の問題であることを物語っています。競技者に何よりも求められるのは、参加種目で勝つために必要な動作であるため、スポーツの訓練は偏ったものにならざるをえないのです。

競技という枠組みは、時間的にも身体を制約します。限られた競技時間内に実力を出せるよう、競技当日までは多少の無理も押して訓練せねばならないからです。そもそも訓練自体が偏っているうえに、訓練時間が限られるなら、疲労や痛みの我慢が常態化しても仕方ありません。この意味で、スポーツという制度自体がスポーツ障害を引き起していると言えます。

もちろん、訓練強度を管理することで障害のリスクを低減することは可能です。しかし、競技で必要な限定された動作を、競技までの限定された時間内で訓練することを求めるスポーツという制度の本質は変わりません。このような制度は、臨機応変な身体の永続的修練を求める武術そして養生術とは異なるものです。

太極拳の場合

スポーツに問題点はあるにせよ、武術太極拳がスポーツという制度の枠組みのなかで普及しつつあることは意義深いことです。とりわけ、拳法の演武と器械(武器)を用いた演武がともに求められる競技種目は、戚継光の唱えた拳法と武器術の関係性という観点から重要です。

その反面、演武競技はすべて一人で行う套路(とうろ、型)を審判員が採点する方式のため、競技者は対戦相手に対して技を使うことがありません。推手(すいしゅ)や散打(さんだ)などの対抗性競技も一部で行われていますが、普遍的な身体を養成するための武術の修練は本来、いかなる競技を前提にした訓練も超え出るものであるはずです。

他方で、太極拳の愛好者の多くは、競技に出場するためではなしに、楽しく健康に過ごすために太極拳の修練を日々続けているように思われます。競技スポーツとは異なるこのような太極拳のありようを「生涯スポーツ」と呼ぶことは一般的ですが、私はこの呼び方に一抹の違和感を覚えます。競技に参加することなしに、スポーツに参加しているとは言えないからです。

たとえば、老年を迎えても卓球のシニア競技会に出場し続けている人は、生涯スポーツとして卓球を楽しんでいると言えるでしょう。しかし、競技に出なくなった時点で、卓球の現役は引退したことになるのです。引退後も、健康のためにラケットの素振りは続けていたとしても、卓球を続けているとは言えないはずです。

したがって、競技とは無関係に太極拳を楽しんでいる人は、スポーツをしているとは言えませんが、そのかわり引退もありません。競技で必要な動作を、試合当日までに仕上げるような窮屈さもありません。ただ、自分の楽しみと健康のためだけに、身体の動くかぎり生涯練習を続ければよいのです。このように、スポーツの範疇からこぼれ落ちる部分にこそ、養生術としての太極拳の醍醐味があるように思えます。

参考文献

太極拳の歴史および戚継光『紀効新書』については、笠尾恭二『中國武術史大觀』(福昌堂、1994年)ならびに屈国鋒「養生武術の形成過程に関する研究―民間武術から太極拳への変遷を中心に―」(筑波大学博士(体育科学)学位論文、2007年)に拠りました。スポーツ訓練の限定性については、山田英司『増補改訂版武術の構造 もしくは太極拳を実際に使うために』(流星社、2008年)および内田樹「体罰とブレークスルーについて」(http://blog.tatsuru.com/2013/03/04_0909.html、2013年3月4日)から着想を得ました。