― 健康と太極拳 ― 太極あれこれ(奈良 行博)

著者プロフィール

健康と太極拳_奈良行博先生_顔写真

奈良 行博
大阪芸術大学短期大学部 教授
日本道教学会 理事
道教友好協会 理事長

略歴
1954年、京都市生まれ。関西大学大学院を修了、文学博士。博士課程在籍中に中国・北京へ1年半の留学し、専ら宗教地の現状視察に注力。現在、在職校の保育学科に所属。主著:『道教聖地』(1998年、平河出版社)『中国の吉祥文化と道教』(2011年、明石書店)

太極拳の実践経験が全く無い非学が執筆のご依頼を賜りました。鍛錬のための技術、養生のための生理学につきましてはさておき、言葉の上では……と考えてお引き受けした次第です。まずは太極という言葉から。

[太と極]

太極の字義について一字ずつ見ていきましょう。太は「ふとい」の訓がありますが、程度を表す副詞としては「はなはだ」とも読まれます。太平洋が「はなはだ たいらかな うなばら」という意味で波の穏やかさから名付けられていることでご理解いただけることと思います。実はこの太は泰の省略字形として使用された経緯がありまして、意味の広がりについてもこの字と重なる部分があります。泰の意味の中で注目に値するのは『易経』に見える64種類の卦のうちの一つとして「泰」卦があることです。

易の八卦は一本横棒の陽爻(こう) と二つ割れの陰爻の組み合わせ三段で成り、乾(ケン)・兌(ダ)・離(リ)・震(シン)・巽(ソン)・坎(カン)・艮(ゴン)・坤(コン)の八種類を言います。この八種類を更に上下に組み合わせると64種類のパターンが作れます。「泰」は陽爻ばかりの「乾」が下に、陰爻ばかりの「坤」が上に乗る構成です。易では天空を陽と捉え、大地を陰と捉えますので、純陽である乾が陰の位置に配当され、純陰の坤が陽の位置に配当されているので、自分の特性と全く異なる位置を守備することになります。易の考えではこれこそが、陰と陽がぴったりと融合・和合しあった理想的な配置とみなします。日本では安定と融和の象徴から、易占屋のロゴマークとなっている程です。これが逆の配置になったものを「否」の卦といい、物事が滞って流通が悪いことを表します。自分の持ち場しか守れないのは、機能膠着を起こして融通が利かないことになる、との考えです。対立するものを拒絶しない融通無碍な姿を「泰」に見ることができます。もっとも「太」の文字にここまでの意味があると説明する辞書はありませんが。

次に「極」ですが、木偏を取ると旁は亟(キョク)となります。これは二+人+口+又の構成です。牛の大腿骨や亀の甲羅に彫り込まれた古文字「甲骨文」では、二+人の構成となり、原初的な意味を形にした古い字形です。二は上下にある枠の象形で、そこに人が頭から足の先までピンと張り詰めた状態で閉じ込められた姿を描写したようです。後に口や又(=手)が付き、逃げ場のない所で問い詰め急き立てる様子を表したとされます。ぎりぎりまで追い詰める「極限」の境地がその意味となります。木偏が付いた極は屋根の最上部の棟木の意味もあります。

熟語を分解し、文字の部品を分解しながら眺めてみると意外な光景が浮かび上がり不思議な気分になります。これは絵画の要素を残す漢字ならではの効果と言えるでしょう。

ネットサイト『国学大師』「極」 极 極,亟

“亟”是“極”的本字,简化字是“极”。商甲骨文和早期的金文都象一 个头顶天脚踏地的巨人形,用头顶天表示高,高到极点,这是“极”的本义。后金文加一表示说话和喊叫的“口”及表示击打的“攴”(读pū),而有了“急、急躁”的意思。金文与同期的《侯马盟书》及秦石鼓文尽管字形不尽相 同,但基本字素都有“顶天的人形”。小篆在“亟”旁加一“木”,引指支撑 房顶的栋木,仍是极高义,但由此与“亟”字分流,字义歧出。汉隶书(《孔 彪碑》等)以平直的笔划取代了篆书的弧笔圆折,并将“亟、極”分开处理。今简化字写作“极”。

健康と太極拳02_象形字書画造形

图为“ 象形字书画” 造形

[太極の意味]

熟語としての「太極」は辞書的な意味では、「根本」「天地宇宙のおおもと」などと説明されていますが、いずれも目に見えない事柄ですので釈然としません。これを図に表すと韓国国旗の図柄にも用いられている「二つ巴」がそれです。陰と陽が二極に分離する前の根本の姿が象徴的に描かれています。実は「太極」の意味内容をより詳しく説明した図には、陰の中に陽の小円、陽の中に陰の小円が描かれています。

これは、たとえこのまま生成発展して陰と陽が二つに分離したとしても、陰の中には必ず陽の要素があり、陽の中にも陰の要素が潜んでいるということを意味します。つまり陰も陽も相対的なものであって、100%陰、100%陽というものは存在しませんよ、と教えています。いくら純粋な陰や陽を精製したとしても、対立する要素を必ず潜め持っているものだとする考えなのです。西洋の考えでは、神は完全に善なるもので寸分の穢れも悪もないとする完璧存在の立場を取ります。それとは異なり陰も陽もその体内に潜んでいる対立物が大きく成長すれば、陰が陽に転じ、陽が陰に転ずることもあると教えています。受容能力を高める、ということでは「泰」の卦のように対立する特性をもつ環境に入りこめる自分を鍛錬によって作る、ということに通じるのでしょう。太極はその極小の一粒も、宇宙の広大世界も同じ二極バランスの原理で成り立っているという考え方なのです。

健康と太極拳04_太極

太極

[太極の展開]

この太極は『易経』の中では生成発展の過程を説明して、太極から両儀・四象・八卦が生まれ、八卦が万物の象徴として説明されます。陰陽の生命活動開始から四季の時間経過、そして万物を構成する八大要素に至る空間拡張の様子を描きます。理解を拒む神話的な展開に非現実的な印象を持つ方も多いでしょうが、古代人が考えた現世の物質世界誕生の物語なのです。四象は陰陽二爻の二段でなり、春・夏・秋・冬を象徴します。それに各季節の変わり目である「土用」を加えて五として木(春)・火(夏)・土(土用)・金(秋)・水(冬)の五行へとイメージが連鎖します。四象から発展して生まれた三段構成の八卦は上記のような配置となって、乾=天、兌=沢、離=火、震=雷、巽=風、坎=水、艮=山、坤=地へと象徴の組み合わせが成立し、いよいよ環境構成の準備がなされます。

このように太極の生成は、宇宙の根本という「観念に近い世界」から説き起こし、地球環境の構築に至るまでの展開過程を示してくれているのです。ここにはまだ人は存在しませんが、人間の命がこれらの環境から生まれ、そしてその環境によって支えられていることを自ずと知ることになります。

[太極の力]

太極には、静から動へと移り生命活動を繰り返すエネルギーが満ちていると考えられて道教信仰、風水学、呪術的民間信仰などに取り入れられていき、八卦との組み合わせなどで目に触れるようになります。

例えば韓国の国旗「太極(テグ)旗」は太極だけでなく、四隅に乾と坤を配して天地、離と坎で火水を配して国土と民生の安泰に対する強い願いを込めています。易学色の強い思想に裏打ちされた図柄です。また避邪招福の魔よけとして使用される八角形の壁掛けタブレット「太極八卦牌」には、太極を中心に八卦を周囲に配してそれぞれの象徴物からの吉祥引き寄せを期待します。この図柄は道教の僧である道士が儀式時にまとうガウン(道袍)の背中にも錦の刺繍であしらわれることがあります。太極の図柄こそありませんが、数語の漢字で成る吉祥語の偏や旁を組み合わせて一括文字にした合わせ文字を「太極吉祥字」と言い、中華料理店などでは「黄金満堂」「日進斗金」「招財進宝(寶)」等の合わせ文字を見ることができます。

かくして太極は命のエネルギーと共に、異なるものを組み合わせて一つの力に集約する作用まで色々にイメージされ生活場面に登場します。

日ごろ、目に見えるもの手で触れられるものに囲まれて生きていて、ともすればそれらに振り回されて生活しがちです。太極から両儀・四象・八卦そして万物の生成過程をスローモーション・イメージでたどり、自分が人間であることを忘れて心静かに瞑想してみては如何でしょうか。ざわめく心や乱れた呼吸を整える助けになるのではないかと思います。

健康と太極拳05_道袍

道袍

健康と太極拳06_龍虎衣

龍虎衣

健康と太極拳07_太極八卦牌

太極八卦牌

健康と太極拳08_日進斗金

日進斗金

健康と太極拳09_招財進宝

招財進宝(寶)

引用図の出典

亟 甲骨文字 : ネットサイト『国学大師』「極・亟」道教の儀式用ガウン : 道袍 / 龍虎衣