輝け!武術太極拳アスリート ~レジェンド選手紹介/市来崎大祐~

市来崎 大祐選手

武術太極拳との出会い

私の半生を綴りながら、次の世代への参考にしていただけたらと思います。

6歳で幼馴染み4人と共に大阪太極拳協会へ入ります。週に一回、仲間と会うのが楽しくて続けました。

身体は固かったですし、型を覚えるのも仲間の中では一番遅く、よく最後までコーチにみてもらった覚えがあります。

一緒に始めた仲間は小学校を卒業とともに辞めてしまいました。僕は寂しさもありましたが、前東コーチ、丹井コーチの熱心なご指導もあり、武術の面白さに目覚めていた時だったので続けました。同期がいない分、自分で考える時間も増えました。当時はまだ子供の生徒も少なかったので、当時の二宮秀夫選手や平井祐二選手には大変可愛がってもらいました。

中学3年生の頃、2008年北京オリンピックの招致が決まり、武術太極拳が正式種目に入るかもという話が盛り上がりました。実際に世界的にも武術界は種目入りに大きく力を注ぎました。

初めて大きな夢ができた瞬間です。私もオリンピックの大舞台で活躍したい!という思いです。その頃から正月の北京合宿も始まり、毎日の練習になっていきました。高校時代は一番練習量が多かったと思います。走り込みも多く、日本一練習している自負がありました。そのお陰で、高校3年生の夏の全日本で初優勝し、初代表になります。多少ニュースになるかなと期待しましたが、全くそんなこともなく、新聞に小さく結果だけ掲載されていたのを鮮明に覚えています。武術のスポーツとしての地位を高めなくてはいけないと思った時です。

日本代表選手として

オリンピックに向けて自選難度競技も始まり、誰もやったことのないジャンプへの挑戦が始まりました。この頃から元中国国家隊・世界チャンピオンの陳静老師からもマンツーマンでご教授いただき、武術的な技術も高まっていきました。

体育の教諭免許も取れ、トレーニング方法、指導法、栄養学など、競技力向上のために必要だと考え、大阪体育大学への進学を決めました。他競技のトップアスリートと共に過ごす時間は、たくさんの刺激をもらいました。大学1年の冬に初めて単独で中国へ行き、そこから毎年長期で行く中で格段にレベルアップしていきました。

全てを武術に注ぎました。

なかなかメダルを取れない時期もありましたが、2008年に実際にはオリンピック種目に入らなかった時は、一番ショックでした。その年に開かれた北京トーナメントでも、メダルを逃しました。

夢もなくなり、メダルも逃し、大学4年生でもあったので、将来への不安が大きくのしかかりました。

でも、やってきた事が大成しないままやめることと、まだ自分自身が演武にも、精神的にも納得していなかったので、辞める選択肢はありませんでした。

評価はもちろん、大切ですが、もっと大事なことは、”自分がどう思ったか”だと思います。

出来が悪くてもメダルを取った時もありました。渾身の出来で、メダルに届かなかった時もありました。私の場合は後者の方が圧倒的に満足度が高かったのです。価値基準は人それぞれです。

メダルが全てだったら、今頃辞めていたでしょう。

次の目標がすぐきまりました。2008年の借りを、2010年のアジア大会で返すことです。

大学の事務で雇ってもらいながら、夜は練習に多くの時間を割くことができました。

わがままを言って長期の休みをもらい、引き続き中国へも単独遠征に行きました。

この2年間は集大成のつもりで挑みました。

お陰様で2010年アジア大会、長拳の種目で銀メダルを獲得しました。

運良く、日本選手団の第一号メダルとなり、初めてメディアにも大きく取り上げられました。とても集中して挑むことができ、今までで1番の達成感でした。少しは、武術太極拳を世の中にアピールできたかなと別の充実感もありました。

同じ時期に、東京のスポーツマネージメントの会社から契約のお話をいただき、大会の好成績も後押しし、翌年に上京することを決心しました。

日本連盟ヘッドコーチ孫健明老師は、私を東京のチームに快く迎えてくださいました。

一人暮らしが始まり、昼間はタチリュウコンディショニングジムでトレーナーの仕事をし、夜は練習し、合間にメディアの仕事をこなしました。

社会人になってからは、うまく体を休ませられず、体はだんだんと思うように動かなくなっていきました。2012年には元々、慢性的に痛みのあった腰に大怪我をしてしまいます。

回転系のジャンプに腰が悲鳴を上げ、開脚着地が決定打となりました。

2ヶ月ほどまともに歩けない時期がありました。

それから復帰するも、思うような動きは出来なくなりました。人生で一番辛い時期でした。

ここでも、頭にはよぎりましたが、辞める選択肢はなく、やれるところまでやろうと言う気持ちでした。

やれることの中で自分の持ち味にも気づくことが出来、自身の表現がだんだん確立し始めたころでした2014年のアジア大会でも、運良く日本人メダル第一号となる銅メダルでまたしても、メディアに大きく取り上げていただきました。

2015年は世界大会で市来崎直子と夫婦で銀メダルを獲得。引き際を考えましたが、最後は全日本選手権にしようと思いました。このまま引退ではなく、今までお世話になった方々の前で終わるのが良いと考えました。

成績は良くありませんでしたが、自分のやりたい演武ができ、沢山の方々に支えられて競技人生を終えることができました。今も感謝の気持ちでいっぱいです。後輩に伝えたいこと

振り返ると、決して華やかなシーンばかりではありませんでした。

むしろ、辛い時間の方が多く、辞めても不思議じゃないタイミングはたくさんありました。

後輩に伝えたいことがもしあるとするなら、自分の納得する気持ちを一番大事にしてあげること。

挫けず、腐らず、努力を継続すること。

何があっても挑み続けること。

今まさに、新型コロナの影響で思うように活動ができない状況が続きますが、共に乗り越えたいと思います。

けして、世界と比べてパワーや身体能力があったわけではないけど、どうすれば世界に勝てるのかを考え、自分の武器を磨き、心を燃やし続けました。

夢も世界チャンピオンには届かなかったけど、それ以上のものを、僕は武術から学びました。

そして、これからも大好きな武術を極めていきます。

現在は自身の教室を運営し、子供から高齢者まで幅広く指導しています。社会貢献できる人材の育成、輩出を目指しています。また、日本連盟強化選手への指導や国体競技のコーチとして神奈川県連盟の選手の育成に今後も尽力いたします。

引退後もメディアの仕事や日本サッカー協会からの依頼で全国の小学校へ行き、夢を持つ大切さを語る『夢先生』の授業も行い、自身の競技を通しての経験などを話します。これからも引き続き、武術太極拳の普及活動に取り組んでまいります。

市来崎 大祐 ICHIKIZAKI Daisuke
1987/2/25生 大阪府大阪市出身
所属:神奈川県武術太極拳連盟
主な競技成績・表彰:
■ 全日本選手権 長拳全9回優勝
■ 2010年 広州アジア競技大会 長拳 銀メダル
■ 2014年 仁川アジア競技大会 長拳 銅メダル
■ 2015年 世界武術選手権大会 長拳 銀メダル
■ 2013年 日本スポーツ大賞
■ 2014年、16年ともに文部科学省国際競技大会優秀者表彰受賞
■ 2015年 国体神奈川県代表コーチ就任
■ 2019年 日本武術太極拳連盟強化委員会コーチ就任

広州アジア競技大会で銀メダル獲得

『夢先生』として広州アジア競技大会で銀メダル獲得 全国の小学校で「夢を持つことの大切さ」を伝える