輝け!武術太極拳アスリート ~レジェンド選手紹介/松浦 新~

松浦 新選手

松浦 新選手

皆さんこんにちは。松浦新です。僕の経験談が皆さんの何かの参考となれば幸いです。そして武術太極拳関係者の皆様、このような機会を頂けた事をとても嬉しく思います。

武術太極拳との出会い

10歳の頃、サッカー少年だった僕に太極拳をしていた母が「ドラゴンボールみたいやからやってみたら?」という言葉がきっかけです。当初は武術よりもサッカーに夢中でしたが中学2年生頃から身体の成長の差でサッカーでは当たり負けする様になりました。プロサッカー選手になりたいという夢を身体に恵まれなかったと諦め、人生初の挫折を味わいます。そして中学3年生頃から武術に打ち込み出します。ちょうどその頃から南拳選手としてもスタートし始めます。

南拳は小柄で細い僕とは真逆の種目でした。発声をするたびに笑われた事もありました。当時の僕は好きで始めた南拳を向いていない、無理だと周囲から決め付けられている様な気がして、結果も出せず悔しい思いをしていました。それでもいつか見返してやるという反骨精神を強く持ちながら練習をしていました。

選手としての思い出

僕は自選難度競技が初めて行われた世代でした。その頃の経験は今でもかけがえのないものです。過去を振り返って出てくる思い出は試合より練習ばかりです。その内の2つの練習を紹介したいと思います。

1つ目は徳島県の吉野川河川敷での自主練です。初めて自選難度競技の研修を兼ねて行われた北京合宿に僕は強化選手として選ばれませんでした。その年は徳島県の祖母の家に行き河川敷で難度動作の練習をしました。当時の僕にできる事は選ばれた人よりも何倍も練習する事と失敗を材料に自分で考えて試す事だけでした。僕が540度の難度動作を初めて成功させたのは絨毯の上の練習ではなく河川敷でした。現在の選手たちから見れば恥ずかしい出来映えですが、自分の中で確実に何かを掴んだ瞬間でした。環境は重要だと思いますが、どんな状況に置かれても諦めずに自分自身を奮い立たせる事と“試行錯誤し工夫する事”の大切さを学びました。

2つ目は南寧での練習です。僕は広西隊の黄春妮選手を目指していました。強化合宿に広西隊の陳旭紅先生が指導に来られた際に、僕は「南寧へ練習に行かせてください」と直談判し、連絡先のメモを頂きました。その後、大阪府連盟の先生方にサポートして頂いて南寧へ行く事が叶います。当時はまだ19歳。一人で不安でしたが“勝ちたい!”という強い気持ちが自分を突き動かしました。南寧で憧れの黄春妮元選手(引退されコーチになっています)に沢山南拳の技術を教えて頂き、沢山質問もしました。僕は南拳らしいといわれる南拳像に近づけない自分にいつも悩まされていましたが“誰かの真似ではなく自分の南拳を極める事”が本質なのだという事を教えて頂きました。南寧での日々が僕の意識を大きく変えました。帰国後に行われた全日本競技大会で徒手、器械ともに初優勝する事ができました。その後の大会も連覇し、勢いそのまま世界選手権では銅メダルも獲る事ができました。表演競技なので“個性的”である事が重要です。基本功は必要なものですが、その基本からどれだけ離れる事が出来るかでその人の風格が決まり、個性になるという事も南寧で学びました。そして個性を磨くという事は自分が信じたスタイルを貫く事だという事も理解する事ができました。

レベルアップの為、1人で南寧のプロチームへ

レベルアップの為、1人で南寧のプロチームへ

2007年、第9回世界武術選手権大会にて男子南拳で銅メダル獲得

2007年、第9回世界武術選手権大会にて男子南拳で銅メダル獲得

後輩や子どもたちへ

コロナ禍で様々な事が変化したと思います。中にはエネルギーが無くなった方もいるかもしれません。しかし立ち止まったり、悩んだりと精神的な葛藤は人が今より成長するための大事な一面です。

僕は22歳で選手を引退しました。沢山の先生方や先輩方に応援して頂き、選手生活に全力を尽くしました。しかし僕が一番欲しかったものは手に入りませんでした。悔いなく納得して選手生活を終えたいと誰しもが思うでしょうが、そうなれなかった人もいます。僕はその中の一人ですが、引退後に北海道へ住み込みで働きに行ったり、色んなアルバイトをして北京へ演劇留学し、ツテも知り合いもいない場所で三年間の海外生活もしました。外国人として生きた生活の中で新しい価値観に触れたり、当たり前だった物事に感謝出来る様にもなりました。これらの経験も今の僕に至るまでの大切な過程です。武術に本気で取り組んだ日々が物事と繊細に向き合う事ができる自分と自分自身の変化に敏感な自分を育ててくれました。

テレビや映画の世界へ飛び込み、ありがたい事に沢山のスターの方々とも共演させて頂きました。上手くいかない時もありますが、武術選手として全力で駆け抜けた日々が今でも自分を励ましてくれます。僕は困難にぶつかるといつも自問自答してきました。そして決意し、強い意志を持って自分自身を追い込んできました。“誰かに与えられた目標ではなく主体的に目標を設定し実行する事”を大切にしてきました。自分自身にプレッシャーをかける事はとても勇気が必要ですし、リスクも伴いますが、それらを背負い打ち勝ってこそ、真の意味で強く成長し、次のステージが待っています。

僕は武術太極拳を通して多くの教訓を得ました。そして、これからも武術と共に生き、お世話になった武術太極拳に少しでも恩返しが出来る様、自分自身もより高めていきたいと思います。

松浦新

俳優として中国での出演作 器灵2〜weapon&soul〜

俳優として中国での出演作 器灵2〜weapon&soul〜

これまでの出演作の台本の数々

これまでの出演作の台本の数々

松浦 新 ARATA Matsuura
1986/7/4生 大阪府門真市出身
所属:トラロックエンターテインメント株式会社
主な競技成績・ 表彰:

■ 2006年 全日本武術太極拳競技大会 自選難度南拳・南刀 優勝
■ 2006年 全日本武術太極拳選手権大会 自選難度南拳・南棍 優勝
■ 2007年 全日本武術太極拳競技大会 自選難度南拳・南刀 優勝 2連覇
■ 2007年 全日本武術太極拳選手権大会 自選難度南拳・南棍 優勝 2連覇
■ 2007年 第9回世界武術選手権大会(Good luck Beijing)
南拳 銅メダル獲得
■ 2007年 第9回世界武術選手権大会(Good luck Beijing)
南拳・南棍総合3位
■ 2008年 全日本武術太極拳競技大会 自選難度南拳・南刀 優勝 3連覇
■ 2004年 大阪府スポーツ賞 優秀選手賞 受賞
■ 2007年、2008年 京都外国語大学 学長賞 2年連続受賞
■ 2007年、2008年 大阪府門真市長賞詞 2年連続受賞
主な出演作品:
■ 映画 「TOKYO TRIBE」 スカンク 役
「ディストラクション・ベイビーズ」
「ディアスポリス -DIRTY YELLOW BOYS-」
「黒い四角」第25回東京国際映画祭 コンペティション部門出品作
■ 舞台 「チャイニーズゴーストストーリー」 寧采臣 役
「船弁慶」船頭三保 役 日本舞踊藤間流、藤間万恵 北京日本舞踊公演
■ テレビ NHK 正月時代劇「 陽炎の辻 居眠り磐音 江戸双紙~ 完結編」 雹田平 役
テレビ朝日「 仮面ライダードライブ」 第37〜41話 ロイミュード006 役
TBS「 ディアスポリス −異邦警察−」
■ 海外出演作品 (中国) 「譲拳作証」日本人殺し屋 役
 「器灵〜第二季〜weapon&soul 」 織田剣 役
■ ラジオ RBC 北京人民ラジオ放送局「 東京音楽広場」ゲスト出演
CRI 中国国際放送局「 中日交流カフェ」 ゲスト出演