― 健康と太極拳 ― 新型コロナウイルス2年の経験(朝野 和典)

著者プロフィール

朝野 和典(ともの かずのり)
大阪健康安全基盤研究所 理事長
(大阪大学名誉教授)

略歴
昭和59年 長崎大学医学部卒業
 長崎大学医学部附属病院
 第2内科入局
平成18年 大阪大学医学部付属病院
 感染制御部教授
令和3年 独立行政法人
 大阪健康安全基盤研究所

はじめに

新型コロナウイルス感染症の流行が2020年1月から始まり2年を超えて続いています。その間に日本では6回の流行の波を経験し、波は来るたびに大きくなっています。新型コロナウイルス感染症は、目の前の医療のひっ迫、重症化や死亡、時短営業による倒産や、さまざまな理由による自殺の増加、休校による教育機会の減少など多くの被害を被っていますが、長期的な視野に立つと、経済の低迷、婚姻の減少、それに伴う出生数の減少など、将来の日本社会に大きなダメージを与えることでしょう。

Withコロナと言いつつも、やはり人命第一というのは変わらないことだと思います。しかしその命のなかには、新型コロナウイルス感染症による直接の死亡はもちろんのこと、自殺や婚姻の減少によって生まれてこなくなった命も含めて考えれば、必ずしも目の前の病気の人の命を助けることが、絶対的に正しいということも言えないと思います。

このように新型コロナウイルス感染症に対する複雑な結果予測と適切な対策を立てることは極めて難しく、むしろ不可能と言ってもよいと考えています。そのため、国や地方自治体はできるだけ被害の少ない対策を実施していますが、その評価は、流行の波が終わってから、行われるべきであり、今は最善と思われる対策を実施しているというのが現状ではないでしょうか。

ここでは、新型コロナウイルス感染症の対策を知るためのいくつかの解説を行います。

Q&A

Q:空気感染するのですか?

A:感染経路には接触感染、飛沫感染、空気感染があるというのがこれまでの考え方でした。例えば、病院で感染する抗生物質の効かない薬剤耐性菌は、医師や看護師の手指や聴診器などの器具に付着して感染が広がります。これが接触感染経路で、手を洗ったり器具の消毒をすることで予防することができます。飛沫感染は、唾液のしぶき(飛沫)が会話中に飛んできて口や鼻に付着して感染が起こります。新型コロナウイルスはこの経路による感染が最も多いと言われています。予防法は不織布のマスクを着けることです。飛沫は重いので1m~2m以内に落下しますので、手の届かない距離(約2m)まで離れて会話をするというソーシャルディスタンスの保持も有効です。空気感染経路は、飛沫が乾燥したり、もっと小さな粒子として感染者の口から出て拡散し、呼吸で吸い込まれ感染することです。この小さな粒子は軽いので、ふわふわと漂い、どこまでも飛んでいきます。空気感染する微生物ははしか(麻疹)が典型的で、同じ空間にいる広範囲の人々に感染を広げます。予防には不織布のマスクでは不十分で、特殊なマスク(N-95マスク)が必要になります。

さて、新型コロナウイルスは空気感染するのでしょうか? 答えは、状況によって空気感染も起こります。通常起こらないという証明は、軽症や中等症の患者さんを診療している病棟では医師や看護師は不織布のマスク(サージカルマスク)で患者さんのケアをしていますが、医療スタッフが次々に感染するということはありません。つまり、感染者がいてもサージカルマスクで予防できるということになります。しかし、小さな粒子が濃密に漂う空間では感染が起こります。それはICUなどの人工呼吸器をつけている患者さんをケアするときなどです。その場合には医療スタッフはN-95マスクを着用して診療に当たります。日常生活ではカラオケなど大声を発するときに小さな粒子が濃密に漂います。カラオケやコーラスは音が漏れないように密閉した空間で行われるために、長時間そこの空間には小さな粒子(エアロゾル)が漂いますので、感染が起こるのです。そこで、有効な対策は換気です。換気をすることでエアロゾルの濃度は薄くなり、感染に必要なウイルス量を吸入することは少なくなるからです。

まとめますと、状況によって空気感染は起こります。予防には換気を行うことが重要です。

 

Q:ワクチンは有効ですか?

A:ワクチンの効果には、感染症を発症させない発症予防効果、発症しても重症化や死亡させない効果というように段階的に効果を分けて考えることが大切です。発症予防効果は、接種後時間が経つと弱くなっていきます。また変異株に対しても効果が弱い場合があります。重症化や死亡抑制効果は発症予防効果よりも保たれると報告されています。例えば大阪府では亡くなる人の半分はワクチンを2回打ったご高齢の人たちです。それではワクチンを打っても同じじゃないか、と考えるかもしれません。しかし、ワクチンを打った高齢者は大阪府でも90%いらっしゃいます。打っていない人が残りの10%とすると、90%と10%の集団から同じ人数の死亡者がいることになります。例えば、90人の中の1人と10人の中の1人では、その確率は1.1%と10%になります。つまり、ワクチンを打っていると10倍近く死亡が抑えられることになります。

ワクチンを打っても感染し発症しますが、重症化の抑制にはつながりますので、リスクのある人や高齢の人は、ワクチンを打つことのメリットがあると言えます。

 

Q:治療薬はありますか?

A:現在、次々に有効な治療薬が開発され、実際に使用可能となっています。注射薬と経口薬がありますが、まだインフルエンザに対するタミフルやリレンザのようなすぐに使える薬剤は準備されていません。いくつかの飲み薬が承認されていますが、飲み合わせできないお薬があったり、妊婦さんに使えないなどのいくつかの注意が必要です。しかし、これまで有効な治療薬がなかったことを考えれば、大きな進歩が起きています。今後も国産のワクチンや経口薬が承認されることが期待されていますので、これまでよりも、重症化や死亡を防ぐことができると思います。

 

Q:新型コロナウイルス感染症はこれからどうなりますか?

A:これまでの6回の流行の波を経験して、そのたびに新しい問題がわかってきました。第4波においては大阪では医療のひっ迫が激しく起こり、重症病床が足りなくなりました。第5波では高齢者の人たちにワクチンを接種し、重症者や死亡者が少なくなりました。第6波では、オミクロン株が流行し、従来の株よりも弱毒化しましたが、これまでの波よりもはるかに多くの感染者が出て、死亡者も70歳以上の高齢者が90%を越えました。また第6波では感染の広がりがインフルエンザ並みに大きくなったため、学校や家庭で子供たちへの感染も多く起こりました。このような経験を経て、医療のひっ迫を回避することと、高齢者の感染を防ぐことが重要であることがわかります。医療のひっ迫の回避には、インフルエンザ並みに流行する感染症に対して、すべての医療機関が診療できるように体制を整備することが必要です。専門の病院という考え方では対応できなくなっています。その先には2類感染症の問題も議論されるべきでしょう。発症したら、すぐに検査をし、治療を行う医療体制の整備が必要です。

高齢者を守るためには、ワクチンの迅速かつ優先的な接種が必要です。第6波ではワクチン接種が迅速に行われたとは言い難い状況で、病院内、施設内感染が広がりました。施設にクラスターが起こったら、すぐに医療の介入が必要で、早期の治療を行うことと、感染対策をしっかり行うことが求められますので、地域の病院が協力して治療と感染対策の支援を行うシステムを構築すべきです。

一般にはウイルスは弱毒化して人との共生の道を選ぶと考えられていますが、強毒化や新たな種類のウイルスの出現はありうるシナリオですので、これまでの経験を活かして立ち向かうことになります。

 

おわりに

新型コロナウイルス感染症の流行で、高齢者の方たちが外に出にくくなり、運動や会話が少なくなったと言われています。太極拳などの運動は、新型コロナウイルスの時代にはこれまで以上に重要な役割を担っています。健康に注意して、適度な運動を続け、ワクチンの接種ができるときには、積極的に受けていただきたいと思います。